みなさんは「トイレ掃除」と聞くと、どんな連想をするでしょうか。「体罰」「汚い仕事」「できればやりたくない仕事」「他人の汚物を見るなんてとんでもない」「よく気持ち悪くならないわね」・・・そんなところでしょう。
私はそんな「トイレ掃除」を、天職と思って仕事にしている男です。かといって、私は変質者ではありませんし、自虐的な人間でもありません。これまで十五回も職を変え、なかなか自分が満足できる仕事に巡り会えなかった中で、このトイレ掃除が最も自分が打ち込むことのできる、やりがいのある仕事であると単に気づいただけです。
確かに、初めのうちは、私もトイレ掃除をするのがいやでたまりませんでした。それなりのプライドもありましたし、汚いものを間接的にせよ、さわるのですから、気持ちが悪くもなりました。
しかし、そんな生理的嫌悪感は、慣れるに従って消えていきました。その代わりに、「トイレがきれいになった」と喜んでくださるお客さんの笑顔が、とても嬉しく思えてきたのです。
それと同時に、トイレ掃除には人間社会を観察するための材料がたくさんあることもわかりました。トイレを汚して平気な人の心理、トイレ掃除をしたくないと思う気持ち、ピカピカに清掃されたトイレを見てすがすがしいと感じる心の働きなどです。これはトイレに限ったことではなく,人間生活のさまざまな局面で出てくるものです。それがトイレには凝縮されているのです。
本誌でくわしく述べますが、トイレは人の心を映す鏡のようなものといえます。そのトイレをいつも使っている人たちの心を映すだけでなく、掃除をする人の心までも映し出します。私はトイレ掃除を仕事にしているうちに、そういうものを敏感に感じ取れるよになりました。
社長さんが率先してトイレ掃除をする様な会社は、とても活気があって勢いを感じます。逆に、汚いトイレを誰も気にしないような会社は,沈滞した雰囲気で鈍い感じがします。また、世間一般に「汚物の巣窟」と思われている公衆トイレは,きちんと清掃さえされていれば、意外に汚す人は少ないものです。
トイレはそんなふうに人間社会を反映しています。なぜなら、聖人君子であろうと、絶世のびじょであろうと、トイレに行かない人はいないからです。トイレが人間の営みに不可欠な存在であることと、その清掃の仕事が嫌われるものであること。このふたつが、トイレ掃除をとても興味深い仕事にしているのです。
みなさんも「汚い」なんて嫌わないで,私のトイレ掃除をちょっと見学してみて下さい。
2007年1月
星野延幸
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